長崎のかまぼこなら中野蒲鉾!長崎築町の地で、百余年にわたり蒲鉾の製造販売を続けております。
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五輪蒲鉾について

2008年北京オリンピックでは、全日本男子バレーボールが16年ぶりの出場を果たし、大きな話題を集めました。しかし、全日本男子バレーボールには、それよりもっと大きな注目を集め、全国に感動を巻き起こした一時期があったのです。1950〜1960年ぐらいに生まれた方の中には、当時のテレビドラマ「ミュンヘンへの道」というアニメ・ドキュメントを覚えておられる方も多いかと思います。全日本男子バレーボールが世界の強豪チームと対等に渡り合い、そして名実ともに頂点を極めた'60年代〜'70年代の男子バレーボール・ストーリー。それは、いまだに多くのスポーツファンの脳裏に焼きついています。

オリンピックの歴史の中で、全日本男子バレーボールは次のような輝かしい記録を打ち立てました。
  • 【1964年】東京オリンピック…銅メダル
  • 【1968年】メキシコオリンピック…銀メダル 
  • 【1972年】ミュンヘンオリンピック…金メダル

この伝説のチームの中のひとりに中野尚弘(旧姓 池田)という選手がいます。中野尚弘は、東京大会では選手として、メキシコ大会では選手・コーチとして、そしてミュンヘン大会ではコーチとして、このチームの栄光に貢献しました。

現在、弊社代表取締役社長である中野尚弘のもうひとつの顔です。

その後の中野尚弘の全日本男子バレーボールへの関わりは、スポーツファンの方はよくご承知の通りですが、1984年ロサンゼルスオリンピックでは監督として、1992年バルセロナオリンピックでは、総監督として全日本チームを率いています。

JVA 日本バレーボール協会
https://www.jva.or.jp/international/record/olympics/men_member.html

この中野尚弘が、自分の輝かしいキャリアである「オリンピック」「五輪」を蒲鉾の製品名称として、用いていること。そして、旧姓の池田ではなく「中野蒲鉾店」として看板を守っていること。これらには中野尚弘のひとつのメッセージが込められているのです。スポーツで世界を極め人々に感動を与えることと、人々の日常の食卓を楽しませること、これらには何ら変わることはない。どちらに対しても、提供する側は「本気」で取り組むほかはない。池田ではなく「中野」であることは中野蒲鉾店、百余年の歴史を守るという覚悟の証です。「五輪蒲鉾」は、当店が正面からお客様に向かい合おうという本気の証です。